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営業について

2011年10月12日 · 未分類


社会に出てから、営業以外やったことないので営業活動について書いてみます。
別に「年間で○○億円の売上げ達成!」とか「エスキモーに氷を売った!」的な伝説とかは持ち合わせていません。
だから、あんまり参考にはならないかも知れないです。

ただ、あんまり前例がない商品を自分なりに試行錯誤しながら「営業」して来た上での気づきです。

0.営業Know How とかって、本当は無いよね。
自分で試行錯誤してきたとか言っておいて、実は営業マニュアル的なビジネス書とか講演会的なものって全く読んだことも聞いたことも無いんです。むしろ、「なんだ、アレ?胡散くせぇ〜」って言って笑ってました。

だからここでも特に、How To的なことはあんまり書きません(書けません)。
もうちょっと抽象的な僕の印象みたいなのを書きます。
出来れば、ドリルっぽくすると頭良さそうに思われるからちょっとはそうしたいんだけど。。。。

僕の営業活動に関する印象は大きく分けて、3つだけ。

1.人って「理性」と「感情」で動くのね
一口に営業って言っても扱う商材とかによって全然、話が違ってきますよね。
ただ、賢い人達がよくやる不特定多数に対する”マーケティング”みたいなのとは違うのは、相対する取引相手と直接交渉とかすることなんじゃないかと思うんです。車のディーラーでも、訪問販売のお兄ちゃんでも、広告代理店の営業マンでも。んで、やっぱりGOALは目の前の人に「よし、お金を払って買ってみよう(やってみよう)」と思わせることかと。

でですよ、目の前の人をその気にさせるのってどうやって説得すれば良いと思います?僕の場合、大きく二つのアプローチが有効なんじゃないかと最初に思いました。一つは「情熱的に語る」、もう一つは「理論的に語る」です。

でもね、気付いちゃったんです。人はね、「理性」と「感情」を同時に刺激された時に行動に移るんだって。最初に思いついた二つのアプローチは外れてもいないんですけど、二つとも同時に必要なんだなということです。「感情」に訴えかけてくるくらい情熱的で、その話に”筋が通っていれば”大抵の人は前向きに話を聞いてくれますよ。どっちかが欠けていると逆にあんまり耳を傾けてくれません。

多分、皆さんも「やたらめったら一生懸命だけど話はメチャクチャだな」と思ったことや、「まぁ、理屈は解るけど実際にやるとなるとねぇ、何かねぇ。。」みたいな印象を持ったことってあるんじゃないでしょうか?

僕は初めのうちは提案書も話す内容も「理性パート」と「感情パート」に分けていました。意識してずっとやってると何となく両方とも同時に語れたり表現出来たり出来るようになった気がします。

2.やっぱり自分のアイディアは可愛いよね
1番の話で、凄く論理的に正しい話を情熱的に語っても、語っても、最後には相手から「買う!」って言う一言を貰わないと駄目なんですよね。営業って。だから、必ず相手の意向を聞くように、聞くようにもしなくちゃいかんということにも気付いたんですよね。

さらに言うとですね、自分のことを振り返って気付いたことなんですけど「人に言われてやることは、実は、あんまりやりたく無い」って言うことです。お母さんに「宿題やりなさい!」って言われた子供が「いま、やろぉーとしてたのにぃ〜。あー、何か、逆にやる気なくすわぁ〜」的な世迷い言を吐いていることってあるじゃないですか。まさにアレですよ。お母さんと子供なあら関係性は未だいいですけど、営業の場合はお金を払ってくれる相手ですからね。

だから僕の場合、最後の詰めの一歩手前で相手の方に「僕らの場合は〜〜なことがしたい」って言ってもらえるように意識していました。形式として、相手の要望があってそれを一生懸命叶えるように企画してきましよ!っていう図式に持ち込みたいんです。そのために、「”論理的”に正しいセールスポイントを”情熱的”に語る”当て”の提案」を最初にしてから、反応をしてくれた方には「”一生懸命頑張”って○○さんがおっしゃってたこと、”現実的”に出来るよう企画してきました」って言うクロージングの提案を2段階で行うのが僕の理想でした。

3.一体、僕の提案は「誰」が「何」と比較されているんでしょう?
言いたいことは「意思決定権者」が誰なのか知ることと、自分の提案の「競合相手」を知ることです。あまりに当然のことで「一応最後まで読んだけど、いよいよ下らねえな」とお思いの方も多いでしょう。許して下さい。僕の場合はある種「はっ」とした気づきだったんです。

最初にも言いましたが営業活動していると必ず相対する方がいますよね。当然、その方に語り、その方に資料を提出することになります。でも、実はその人の上に上司がいたり、その人のクライアントがいることって当たり前にありますよね。当たり前なんですけど、けっこう忘れてしまうんですよね。目の前に人がいると。
当然、相対してくれている人に誠意を欠いちゃいけませんが、本当の意思決定権者を無視してもいけません。出来る限り、相対してくれている人からその人の意見や想いを引出すように意識していました。勿論、目の前の人が意思決定権者ということも沢山ありますけどね。そうじゃないことも沢山あるんですよん。そういう時は、相対している人と仲良くなって、一緒に、「意思決定権者」に向き合いたい物ですね。

そしてね、もう一つ当たり前なんですけど自分の提案と比べられているのは何なのかを知ることです。車を売っている人が、当たり前のように他のメーカーの車が比べられているとは限らないという話です。僕の場合、ちょっと商品が特殊だったから逆にこの点は意識し易かったんですけどね。その分、なるほど「競合」言っても何か意外な物が上がって来るんだなって言う気付きがあったのです。

4.最後に(おまけ)
以上、だらだらと無駄な話にお付き合いいただき有り難うございました。
最後に、実はテクニックというかノウハウみたいなのは僕なりにあります。上記の3点の気づきを活かすためのね。ただこれは「僕の場合に有効」という印象が強いんです。人それぞれ性格も、話し方も、好きな間合いとかも違いますからね。だから、そういく細かい技みたいなのはやっぱり自分で作っていくのが良いんじゃないかと思いますよ。何かその方が楽しいですしね。

僕の認識だと世間ではストレスフルで新卒採用の方に嫌われがちな営業職ですが、楽しいですよ。
「マジかよぉ」って思うことの方が多いかもしれませんが。笑

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共感を呼ぶ修辞技法

2011年06月16日 · 未分類


A:「俺、twitterとかFacebookをやらないオンナがタイプなんっすよねー。」
B:「ああ、俺、それ超わかるわ。」
A:「そうでしょ!分かるっしょ!これ、ヤバいっすよね!」
B:「うん。何か、共感できちゃうよ。」

っていう会話を最近、近くで聞いていました。
僕には全く意味の分からない「twitterをやらない」という女性の好みで、あまりに意味が分からな過ぎて、5月中はブログもかけないくらいでした。とは言え、上の二人には深く刺さったみたいです。

ここで「twitterをやらない」というのは勿論、何かの暗喩なんでしょう。文字通り、twitterのアカウントを持っていない女性がいたとして、その子に上の二人が無条件で魅了されるかと言うと全くそんなことは無いでしょう。

直喩や暗喩、あるいは換喩に擬態、擬人といった修辞技法は一般には文学やスピーチの原稿の中に良く見かけますよね。何故って、それは共感を呼ぶためなんだと思います。何でもストレートに、そのまんま話したり書いたりすれば人に伝わるかって言うとそうでは無いと思うんです。一見、回りくどく、抽象的な表現の中にこそ、人は共感を見いだし易いのではないでしょうか。優れた文学やスピーチ、あるいは気の利いた会話の中には、必ずそういった気の利いた修辞技法が見つかる気がします。

あくまで個人的な意見ですが。

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野次馬じゃ無くなる時

2011年04月19日 · 未分類


16、17日の週末を使って今回の震災の被災地に行ってきました。
現地の様子や、詳しい道程は先導してくれた彼のブログに詳しいです。
ブログ1
ブログ2

東北地方にほとんど縁の無い僕ですが、上記の彼が今回の東北行きに誘ってくれた時は即決で同行を決めました。何より、今回のとんでもない自体を自分の眼で見ておきたかったからです。それはとても濃密な時間で、「行って良かった」と素直に言うことができます。ただ、出発の1週間くらい前から上手く言葉にできない悶々とした気持ちはありました。

それは言葉にすれば、「自分なんかが行っても、何の役にも立たないしただの野次馬に過ぎないじゃないか」という自己嫌悪の気持ちなんだと思います。実際、原発被害の続く福島県相馬市や三陸沖海岸の尋常じゃない状況を目にしたときはショックを受けるばかりで自分の言葉では何も考えることが出来ませんでした。

車に詰め込んだ物資を避難所に届けても、悶々とした気持ちは全く消えません。やっぱり自分が野次馬でしかないことへのもどかしさが胸の底にこびりつくのです。もし、あのまま、ただ被災地の悲惨な状況を目にして帰っただけならば、出発前の悶々とした気持ちにより一層の黒い影を纏わせて燻らせていたと思います。

僕が、どうにか尋常じゃない光景と想像も出来ない悲惨さを見て「良い経験だった」と思えるのはひとえに先導してくれた仙台を地元にする彼と、同行した被災地出身のKちゃんが僕の友達でいてくれたからです。
元々、関係ない僕が被災地に行くことに後ろ向きな感情を持っていたのに今回の訪問に参加したのは、被災地の訃報に泪する友達が先導をするからでした。僕の彼に対する敬意や友人としての思いが「関係なく何かない」という気持にさせてくれました。その気持ちは、Kちゃんが被災地の親戚と再開し、抱き合う姿を目にして、親戚の方から労いの言葉をいただいた時により強い物になりました。

二人の友人の存在を通じて、はじめて今回の悲惨な状況を自分の言葉で考えることができるようになりました。ビートたけしさんの言葉を借りれば、数万人のつらい震災が一回では無く、一つの不幸が数万回起きた震災だったのだと思えるようになったんです。

僕は、想像力も乏しくメディアを通じた被災地の状況を聞いてもどこか思考が地に脚がつきませんでした。社会への使命も、社会からの期待も未だ薄い自分に出来ることなど無いに等しいんだと卑下してしまい、行動を躊躇してしまっていました。今でも、それは変わらない所が多分にあります。でも、自分の友達のために何か出来ることはないかと、小さな手でも差し伸べることに躊躇は要らないんだと素直に思えるようになりました。

話が飛んでしまうのかもしれませんが、僕にリビアや中東の国々、チベットや中国、チリやタイに友人がいれば、もっと世界中の理不尽な不幸に対してこの不器用で無力な手でも何か動かすことが出来たのでは無いかとも考えるようになりました。

もっと、周りの人たちに関心と愛情を注ごうと思います。これまでの友達や恋人、これからの友達や繋がってくれる人達を大切にしようと思います。そして、彼らに対して自分が出来ることを、少しでも大きくなっていけば良いなと思い、もっと楽しく一緒にふざけていられるように自分が強くなりたいなと思います。そんな繋がりを、もっと多く、もっと世界中に広く持ちたいなと思います。

ほとんどいないとは思いますがもし、でこのブログを読んで「被災地に友達なんていないから、やっぱり辞めておこう」と思いボランティアや支援物資を届けることに躊躇する人がいたら決してそんな必要は無いと思います。周囲からは「野次馬」だと思われても仕方が無いという謙虚さと、少しでも何か出来ることを見つけたいという素直な思いさえあれば必ず有意義な物になると本当に思います。勿論、現地への最低限の配慮は十二分に必要だとは思いますが。

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「一生、調子にのってたい」

2011年03月31日 · 未分類


 

何を書けば良いのか、さっぱり解りません。


冒頭で、いきなりこんな泣き言を吐く僕をどうかお許し下さい。
中学生のころからおよそ努力という言葉を避け、今を大事にするという言葉に乗っかり続けて来た僕の中には、どうしても世の中の皆様に発表する様な大層な物は見いだせないのであります。

ここで謝って、5行弱のエントリーでこのブログを終了させる事が賢明であることは十分に理解しているつもりではありますが、それではあまりにわざわざ読んでくださりに来た方達へ申し訳が立ちません。自ら特に発表する事が無いので僕たちの事を書こうかと思います。

僕のこの会社(株式会社アトカブ)のパートナーと僕について書きます。

たぶん、皆様のほとんどが、僕ら(僕とそのパートナー)が「株式会社アトカブ」という不謹慎な名前の会社を立ち上げた事はご理解いただけているかと思っています。「いや、そんな話は全く聞いてない。」、「そんな会社、今直ぐに辞めてしまえ!」という方はどうぞお手を挙げて抗議下さい。ことごとく却下です。

2011年1月11日に、僕らはこの会社を立ち上げました。ただ、僕と彼がつるみ始めたのはかれこれ7年前の2004年の4月まで遡ります。前述の通り、学生時代にあらゆる努力を廃し、社会へ有為な人材となる修練を一切積んでこなかった僕は不安と諦めを胸一杯に抱えた新卒社会人一年生でした。そんな僕の社会人一年生30名のキラキラとした同期の中に、ちょっと異色の光を放って彼の姿もありました。彼に妙に近しい匂いを感じた僕は、何となく彼と仲良くなって行き、一緒に過ごす時間が増えて行きました。

研修期間という社会人の誰もが持つ甘〜い準備期間に僕らは共に大いに準備に準備を重ねていました。入社早々に会社を辞めることだったり、進化論の話だったり、マイケル・ジョーダンの偉大さについて、昼夜を問わず熱く語らったものです。昼間の漫画喫茶でそんな僕らを見かけた人は十人中八人が僕らをサボり中の駄目サラリーマンだと誤解してたでしょう。あとの二人は僕らの同期です。時には、万物の基本に立ち返ろうと上野へ動物観察に出かけたことも1度や2度ではありません。3度です。

あまりに楽しい準備期間を過ごしている中、同期の仲間が次々と営業研修の成果を出して行くのを横目に「人生は重き荷を背負いて、長き道を行くがごとし」という徳川家康の言葉を胸にやっぱり僕らは準備を重ねていました。

いっこうに整わない準備をしていた僕らですが、ある日、本当にその日だけ、ほぼ二人とも同じようにちょっといつもと違うテンションでした。結果を出そうとしてたんです。

「別にやれば、出来るけどね、俺は」という気持ちは腐る程持っていることはこれまでの準備期間でお互い十分に理解していました。そう言ってもはや何処に隠したのか忘れそうな爪をひた隠しにしてきたのです。

あの日、彼がどんなことを考えていたのかは解りません。聞いてませんし、多分、覚えていないでしょう。僕も、思い出せません。ただ、あの日は二人とも「覚悟」は決めていました。そのことだけは解りましたし、今でも覚えています。

会社の朝礼が終わり、同期全員が営業に出て行きました。いつも通りです。違ったのは、僕らも営業に出て行ったことです。営業先までは、彼の当時のっていた真っ青のBMWで向かいました。自分の車を使っても良いとは言われていませんでしたが、特に駄目だとも言われていなかったので僕らはよく、どちらかの車で外回りをしていました。

普段は十分な準備活動ができる場所を求めて、なかなか目的地の定まらない僕らのハンドルでしたが、その日はまっすぐに営業先に向かいました。車中、あまり会話もせずに目の前の道をぼーっと眺めていたのも何となくそれまでとは違いました。社内には大音量で尾崎豊の「僕が僕であるために」がかかっていたせいかもしれません。

 

途中、信号待ちをしている時に丁度、尾崎豊も歌い終わっていました。急に静かになった中、彼が呟きました。

「オレ、一生、調子に乗ってたいんだよね。」
「ああ」
と僕が生返事をして車は再び走り出しました。

営業先でどんな話をして、どんな資料を使ったかは全く覚えていませんが、その日は二人ともまじめでした。相手にも誠実であろうとしました。頑張りました。幸運にも、僕らは契約をいただくことが出来ました。

僕は勝手に、彼が”一生、調子に乗っていたい”と呟いた時からチームが出来たと思っています。僕の生返事が深い”同意”であったことを彼が理解してくれているとも勝手に思っています。何よりも、周りの人たちの価値観ではなく、自分たちが「面白い」と思う物に素直であろうとするためには頑張らなくちゃ行けないって言うことを知り、覚悟を決めた時なんだと思っています。

まだまだ定まらない、ふあふあした僕らですが、一生懸命、ふざけていきます。

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